北陸を代表する古湯、山代温泉

北陸を代表する古湯、山代温泉

北陸新幹線で金沢入りして「山代温泉」を目指す場合は、どのようなアクセス方法でしょうか?!金沢駅からはJRで加賀温泉駅を目指してください。特急では30分で到着します。普通の場合でも45分で到着します。加賀温泉駅から山代温泉までは車で15分なので、まず目指すは加賀温泉駅になります。ちなみに小松空港から山代温泉までは自動車で約35分で小松空港から出ている周遊バスを利用して加賀温泉駅に行ってそこから移動することもできます。

たとえば関東圏から山代温泉に土日の週末を利用して旅する場合、行きは北陸新幹線で金沢入りして金沢をしっかりと観光してから夕方ぐらいに山代温泉入りをして、翌日はたっぷりと休日の疲れを癒すために朝寝坊を楽しんだり朝の温泉を満喫してから山代温泉界隈を探索して、小松空港からひとっとびで羽田空港で帰るというのも1泊2日でかなり充実した週末になります。精神のリフレッシュになって、そして休暇も満喫してまた月曜日からガンバローー!という気持にもなりますね。

山代温泉の魅力

山代温泉の魅力はなにがあるのでしょうか?!明治時代は文化人にかなり愛された温泉なんです。その証拠といってはなんですが・・みだれ髪で有名な与謝野晶子とその夫与謝野鉄幹夫婦は、山代温泉を音連れたときに歌を残しています。その歌ももちろん「山代」という地名を入れた歌です。そして書道家・陶芸家・画家など多才でもあり美食家としても有名な北大路魯山人も、山代温泉が好きで山代温泉にたびたび訪れています。そして山代温泉で滞在していたも、半年ぐらいは滞在していたのでいかに山代温泉に魅了されていたのかが伺えます。

北大路魯山が滞在していた場所はいまは「いろは草庵」という名前になって、山代温泉の中で観光地のひとつになっています。北大路魯山人が「山代の別荘はどんな様子かね・・」といつも気にかけていた北大路魯山ですが、当時は福田大観と名乗っていました。そして現在「いろは草庵」と呼ばれる場所は、その当時は吉野家旅館の元別荘で、この別荘には骨董や書画そして茶人たちが集う文化サロン的名場所でもありました。文化人が集う山代温泉は、古九谷などとても魅力あふれる場所です。

古湯としても有名

北陸にたくさん温泉の中でも、山代温泉の歴史はその中でもずば抜けて歴史がふるーーーい開湯の伝説があります。どれだけ古いかというと、奈良時代のお坊さんの行基(ぎょうぎ)が開いたという伝説が残っていることから、どれだけ古いの??!!と驚いてしまいます。行基の名前を聞いて、古い歴史が好きな方はあの東大寺の四聖のひとりじゃない?!とその行基が生きた時代の年代を考えれば、古湯なんだなぁ~と実感されると思います。あの奈良の大仏を聖武天皇が造立するにあたって、聖武天皇から責任者として招聘されたほどの高僧でもあります。

そして時代は平安時代へとなり平安時代の末期には、明覚上人によって七堂伽藍が建立されて平安時代にすでに山代温泉は大いに賑わいを見せていたほどです。平安時代に賑わっていた山代温泉は、もちろん戦国武将も好きでした。明智光秀も山代温泉のお湯に使っていたとか・・・。

とても古湯として知られている山代温泉は、関西地方からの奥座敷として戦後は発展していきました。奥座敷として発展していくと、以前はひっそりとした湯治場の情緒あふれる温泉街だったのが、奥座敷として人気が高くなったことでひなびた温泉街から、ちょっと違った賑わいに山代温泉も変わって行きピーク時にはなんと年間250万人以上が山代温泉に来ていたといわれています。

バブルが崩壊して、もちろん山代温泉もかなりのダメージを受けます。そして旅行の形態も変化していきました。かつては社員旅行でかなりの人数でバスを連なって温泉宿へ行くというのが、日本のざ・社員旅行という感じでしたが社員旅行そのものをしない企業も増えていったことから、山代温泉の宿泊客が激減します。そのため、かなりの宿泊施設が姿を消すことになりました。そして今まで石川県の温泉地といえば「山代温泉」だったのが、「和倉温泉」の方が有名になり山代温泉はどうなるのか?!とも思われましたが、21世紀の山代温泉は変わりました。

なんといっても北陸随一の古湯ということ。そして文化人が集った山代温泉です。「九谷焼」が九谷焼の作家によって作られているのがこの「山代温泉」です。伊万里焼のコレクターとしても有名だった故フレディ・マーキュリーも、もし九谷焼を知っていたら九谷焼の魅力に絶対にはまるだろうにな。と少し残念な気持してしまいます。九谷焼の魅力もあんがい知らないものです。そんな九谷焼を尋ねるのにも山代温泉での旅は思い出深い旅になるでしょう。